【日本アカデミー賞受賞への大疑問 ?】『ミッドナイトスワン』『Fukushima 50』
日本アカデミー賞(にっぽんアカデミーしょう、英: Japan Academy Film Prize)は、日本の映画賞。主催は日本アカデミー賞協会で、米国の映画芸術科学アカデミーより正式な許諾を得て発足。1978年(昭和53年)4月6日から毎年催されている。 アメリカのアカデミー賞 136キロバイト (10,769 語) - 2021年4月5日 (月) 10:33 |
第44回日本アカデミー賞が、去る2021年3月19日の授賞式で発表された。

(画像:日本アカデミー賞公式サイトより)
日本映画154本・外国映画210本を選考対象とし、最優秀主演女優賞に長澤まさみ(『MOTHER マザー』)、最優秀助演女優賞に黒木華(『浅田家!』)、最優秀アニメーション作品賞には『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が選ばれるなど、盛況のうちに同賞の発表は幕を閉じた。
今回、問題として取り上げたいのは、最優秀作品賞、主演男優賞を受賞した『ミッドナイトスワン』、助演男優賞、監督賞など多くの賞を受賞した『Fukushima 50』についてである。多くの出演者やスタッフたちの喜びに水を差すようだが、日本映画界の権威の一つである日本アカデミー賞が、この二作品に賞を与えたことは、果たして正しかったのだろうか。なぜなら、『ミッドナイトスワン』と『Fukushima 50』は、それぞれに作品の質以前の問題を抱えているからだ。
◆『ミッドナイトスワン』にトランスジェンダー当事者や専門家から異議の声

最優秀作品賞、そして草なぎ剛が主演男優賞を受賞した『ミッドナイトスワン』は、トランスジェンダーの主人公と、愛情を注いで育てる親のいない子どもの交流が描かれた人間ドラマ作品。トランスジェンダーへの差別と育児放棄という、社会的な問題が題材となっている。
トランスジェンダーについては、まだまだ日本では理解が進んでいないこともあり、今回、演技者として実力と人気を兼ね備えた草なぎ剛が、そういった役を演じること自体には、意義があることは確かであり、監督のインタビューを読むと、当事者への聞き取りや、トランスジェンダーを応援する団体への相談を行なっていて、その成果はある程度内容に反映されているといえる。偏見にさらされている存在について考えるきっかけになり得る作品であり、今回の受賞は、そのことが大きく評価されたものだと考えられる。
一方、その内容について、一部のトランスジェンダー当事者や専門家からは異議の声があがっている。大きなポイントとなったのは、タイで性別適合手術を受け、後遺症によって死亡するという描写が劇中にあることである。ハフポストの取材では、GID(性同一性障害)学会理事長・中塚幹也医師が「現実には考えにくい」と述べているように、その展開は事実から離れた表現だということが明らかになっている。
結果的に、この描写はトランスジェンダー当事者の恐怖を煽ったり、手術を受けた人、タイの医療技術などへの偏見を強化するものとなってしまっているのである。それは、この作品自体の存在理由すら揺るがせてしまう。
◆監督の発言でさらに批判も
批判を受けた内田英治監督は、「多様な意見がある。素晴らしいこと。人の数だけ意見が富んでる。素晴らしいこと。でも自分の映画を社会的にはしない。これは娯楽。娯楽映画で問題の第一歩を感じれればいい。社会問題は誰も見ない。映画祭やSNSでインテリ気取りが唸り議論するだけ。なので娯楽です。多くの人に観てほしい。それだけ」とSNSで発信し、『ミッドナイト・スワン』の成立過程や、社会問題に対する姿勢について、さらなる批判を呼ぶこととなった。
この言いようでは、トランスジェンダーへの差別や、理解が進まない境遇を、娯楽の題材として利用しただけではないのかという疑問を持たれても仕方ないだろう。
とはいえ、作品を守らなければならない映画監督としての立場は理解できるところであり、内田監督は、自身の軽率な発言については反省の弁を述べているので、今回の批判を受け止めることで、今後の作品づくりに反映してもらいたいし、この例が、今後同じような題材を取り上げるクリエイターたちの教訓となってくれることを願っている。
今回とくに問題にしたいのは、このような経緯があった作品を、日本アカデミー賞が「最優秀作品」に選んでしまったことだ。
◆アカデミー賞の授与が意味するものとは?
現在の米アカデミー賞において、こういった作品に賞を与えるかどうか、ということを考えてみてほしい。本作がトランスジェンダーへの偏見を助長するおそれがあることは確かであり、実際に各方面から異議の声があがっていることも周知の事実だ。
その作品にわざわざ賞を授与することは、日本アカデミー賞を主催する日本アカデミー賞協会が、それらの声を無視するという姿勢の表明となり、引いては、日本社会のトランスジェンダー問題への意識が低いことを、公に発信していることになるのではないだろうか。
◆原発事故が起きた原因や責任についての追及がない『Fukushima 50』

日本アカデミー賞は、東日本大地震による福島の原発事故を題材とした『Fukushima 50』に対しても、助演男優賞、監督賞など複数の賞を授与している。この作品は、事故当時の切迫した状況や、原子力発電所の所員たちの事故対応への決死の覚悟を描く内容だ。本作は当初、故・津川雅彦が持ち込んだ企画だったという。
『Fukushima 50』が批判されているのは、原発事故が起きた原因や責任についての追及がない点である。もちろん、最優秀助演男優賞を受賞した渡辺謙が演じた、福島第一原発の所長・吉田昌郎をはじめ、所員たちの努力や功績は認められるべきものがあるが、そもそも所員が死を覚悟しなければならなかったのは、安全対策への義務を怠っていた東京電力の経営陣であり、2011年までに有効な対策を打たなかった政治にあるのではないか。
事故当時の政権は民主党であり、もちろんこの事態が起こった責任の一端を担わなければならないが、2006年の時点で「全電源喪失はありえない」として、野党による原発の地震対策への提言を拒否していたのは、自民党・第一次安倍内閣の安倍晋三首相自身だった。本作は、この前提が欠落し、所員たちの努力や犠牲を美談としてのみ語るのである。
◆『永遠の0』と同じく、美談に落とし込む手法
これは、第38回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した『永遠の0』で描かれた構図とそっくりだ。特攻隊員をことさら英雄化することによって、当時の日本上層部が兵士を進んで犠牲にしていた事実には、あまり目を向けさせないような内容となっている。
このように、日本で繰り返し行われてきた、特権的な人々の決断によって末端の人々が責任をとらされる構図が存在しながら、それをあたかも無かったことのように漂白して美談に落とし込む手法は、戦中の国策映画を想起させるものだ。

岡田准一主演で2013年に映画化された。百田尚樹「永遠の0」 (講談社文庫)
◆常軌を逸した原作者の発言が問題視されている
『Fukushima 50』の原作者・門田隆将は、過激な保守主義者として知られ、現在の野党に対して攻撃的な発言を続けている人物である。このことから、著作に政治的な意図が反映されているのは、ある意味当然といえよう。問題は、政治的信念を押し通そうとするあまり、その言説が常軌を逸したものになっているという点である。
最近は、米大統領選において、集計システムなどを利用してバイデン陣営が不正を行なっていたとする「選挙不正デマ」を拡散し続け、先の「愛知県知事リコール不正問題」についても、リコール陣営に知事側のスパイがいる可能性を強調するなど、メディアやSNSで多くの人を混乱させる複数のデマを広げていることが問題となった。このことを、日本アカデミー賞協会は理解していたのだろうか。
◆悪役のように描いた首相は実名を避けフィクションに逃げた?
映画版で異様なのは、劇中にて英雄として描いた吉田所長などは実名で登場させながら、原発事故当時の首相・菅直人については、映画版では実名を避けていることだ。
ここでは、原作よりもさらに踏み込んで、首相が現地に乗り込んできたことが作業の遅れる要因となったということをはっきりと描いている。このように、まるで悪役のように描いたからこそ実名で首相を登場させることを避けたのだろうが、逆にいえば、訴えられるリスクを念頭に置き、フィクションとして逃げられるようにしているとも受け取れる。
実際にあった出来事を題材に、実名の登場人物と仮名の登場人物を混在させ、一部分をフィクションとして描くというやり方を選んだのだとすれば、誤解を広めるおそれがあると批判されても仕方がないのではないか。
◆授賞で偏見をさらに助長させてしまう可能性も
ここまで述べてきたように、『ミッドナイトスワン』『Fukushima 50』は、俳優の演技やスタッフの技術的な功績を評価する以前に、誤解や偏見を広める要素があることは、議論するまでもなく明らかである。もちろん、スタッフとキャストの個々の情熱や仕事には評価できる部分はある。だからといって、権威ある賞を授与してしまえば、偏見をさらに助長させてしまう可能性がある。
今回の日本アカデミー賞で残念だったのは、黒沢清監督の『スパイの妻』が対象外とされたことだ。それは、NHKドラマとして編集されたものが放映されたことが規定にそぐわないと判断されたからだという。しかし、ヴェネチア国際映画祭で監督賞を受賞し、キネマ旬報ベスト・テンでも邦画一位の座に輝いた『スパイの妻』を選考から除外するということは、日本の優れた映画に賞を与える立場にある日本アカデミー賞の存在意義の方が問われるのではないだろうか。

◆批判をはねのけるような態度が求められる
日本アカデミー賞は、いままでも作品選定の傾向から、「大手映画会社の持ち回り」だと揶揄されてきた歴史がある。だからこそ、そのような批判をはねのけるような態度が求められるはずである。同賞が進歩し続ける世界のなかで存在感を発揮し、米アカデミー賞のように国内の映画界を牽引(けんいん)する立場であるためには、選考基準やリテラシーへの取り組みについて、大胆な変革が求められることになるだろう。
<文/小野寺系>
【小野寺系(おのでら・けい)】
映画評論家。多角的な視点から映画作品の本質を読み取り、解りやすく伝えることを目指して、WEB、雑誌などで批評、評論を執筆中。twitter:@kmovie

(出典 news.nicovideo.jp)
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