「タイタニック」の悲劇はなぜ『銀河鉄道の夜』に描かれたのか  一人の日本人乗客が結ぶ2つの“残されたものの物語”


タイタニック』(原題:Titanic)は、ジェームズ・キャメロン監督・脚本による1997年のアメリカ映画。興行収入は、全世界で21.9億ドルに達し、『ジュラシック・パーク』(1993年)を抜いて世界最高興行収入を記録した。第70回アカデミー賞では、歴代最多の14部門でノミネートされ、作品賞を含む歴代最多の11部門で受賞した。
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単純に好きな映画の一つ

 1997年に公開された映画『タイタニック』は全世界で約22億ドル(約2400億円)もの興行成績を上げた大ヒット作である。

 この『タイタニック』と奇妙な縁がある作品が、1985年に公開されたアニメ映画銀河鉄道の夜』だ。この縁は“偶然の産物”でしかないのだけれど、そこを意識しながら2つの映画を見ると、それぞれの作品がより立体的に楽しめるようになる。では2つの映画が、どんな縁で結ばれているか順番に紐解いていこう。

1912年4月10日タイタニック出港の日

 全ての始まりは1912年4月10日。豪華客船タイタニック号は、アメリカニューヨークを目指して、イギリスサウサンプトン港から初航海に出発した。航海は順調に進むかに思えたが、出発して4日後に事態は暗転する。タイタニックは接近してきた巨大な氷山と接触したのだ。

 関係者を始め誰もが“不沈船”と信じていたタイタニック号だが、この衝突から2時間40分後の15日2時20分、北大西洋に沈没することになる。同船には2200人余りが乗っていたが、そのうち1513人が死亡することになった。これは1912年時点で史上最悪の海難事故だった。

海に眠って70年以上…キャメロン監督との「邂逅」

 1985年アメリカフランスの合同探検隊を組織した海洋考古学者のロバートバラードは、深海にタイタニックの沈没地点を発見する。バラードの潜水調査はドキュメンタリーが制作され、その映像は、かねてから海の世界やタイタニック号に関心を持っていたジェームズ・キャメロン監督を大いに刺激することになる。

 そうしてキャメロン監督はまず、深海を舞台にしたファーストコンタクトSF『アビス』(1989年)を発表する。だがその一方で1987年の時点で、キャメロン監督は既にタイタニック号に関する企画メモを記していたという。メモの内容は次の通り。

〈「シーンの最初と最後に潜水艦を使って撮った現在の沈没船の映像を入れて、ブックエンドのように物語をはさむこと。そこから生存者の思い出をたどるようにして、沈没のあった夜を再現すること。人間性が試される、大きな試練。ゆっくりと、しかし着実に迫ってくる運命(比喩)。死んでいく男たちと、当時の習慣により助けられる女たちと子供たち。そこに生まれた数々のドラマチックな別れの瞬間。勇気ある英雄と、卑怯な小心者。文明人としての礼儀と、動物的な本能の拮抗。これらのすべての背景として、ミステリー、あるいはしっかりとした筋のある物語が織り込まれる必要あり」(『タイタニック ジェームズ・キャメロンの世界』ポーラ・パリージ、訳:鈴木玲子、ソニーマガジンズ)〉

「船上の『ロミオとジュリエット』」の物語へ

 後にこの「しっかりとした筋」の部分に、「船上の『ロミオとジュリエット』」というコンセプトが持ち込まれることになる。さらにキャメロン監督は、沈没する実際のタイタニック号の映像を撮影して映画に使うことも実現してしまうのだった。

 キャメロン監督は「船上の『ロミオとジュリエット』」の物語を劇的に構成するため、社会的階級と沈没時の運命の両極端を象徴する人物を配置することを考えた。そこで生存率の低かった三等船室の男性と、生存率が高い一等船室の女性という正反対の立場の2人の物語として脚本を書き上げた。

ジャック」と「ローズ」の間にいた一人の日本人乗客

 この時、史実のタイタニックでは、やはり生存率の高くない二等船室に唯一の日本人客が乗船していた。鉄道官僚として留学先のロシア・サンクトペテルグルクから帰国途中だった細野正文である。

 奇跡的に生還した細野正文だったが、帰国後は、女性や子供を優先せず助かったという理由で誹謗中傷にさらされることにもなったという。その汚名がそそがれることになったきっかけは、映画『タイタニック』公開に合わせて、RMSタイタニック社が、細野正文が残した遭難の手記を踏まえつつ行った調査だったそうだ。それにより細野正文は、決して卑怯な手段でボートに乗ったのではないということが明らかになったという。

銀河鉄道の夜』に描かれた「タイタニック号の遭難」

 一方、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にタイタニック号の遭難を思わせるくだりがあるのは有名な話だ。

 ケンタウル祭の夜、丘の上で孤独に佇んでいたジョバンニ少年は、突如姿を現した銀河鉄道に乗り旅に出ることになる。気がつくと隣の席には友人のカンパネルラもいる。やがてここに「氷山にぶつかって沈んだ船」に乗っていた家庭教師の青年と姉弟の3人連れが加わることになる。

 青年はジョバンニたちに自分たちが体験する沈没の様子を語って聞かせる。そこに「どこからともなく〔約二字分空白〕番の声があがりました。たちまちみんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたいました。」というくだりがでてくる。

推敲過程に残された「タイタニック沈没時に演奏された賛美歌

 完成した『銀河鉄道の夜』の原稿中では何を歌ったかは明確に書かれていなかったものの、推敲の過程では「主よみもとに近づかん」という言葉が書かれていたバージョンもあるという。このフレーズは、賛美歌320番の冒頭の一節で、タイタニック号が沈没する時に楽団が演奏していた曲といわれている。

 タイタニック号の遭難が1912年で、宮沢賢治1896年生まれなので、遭難当時は15歳。『銀河鉄道の夜』の執筆開始は12年後の1924年ごろなので、報道かなにかで知ったタイタニックエピソードを取り入れたのだろう。1925年1月に書かれた詩「今日もまたしやうがないな」の中に

〈まるでわれわれ職員が

タイタニックの甲板で

Nearer my God か何かうたふ

悲壮な船客まがひである〉

 という一節が出てくる。

 この賛美歌が本当に沈みゆくタイタニック号で演奏されていたかどうかは現在では疑わしいとされているようだが、映画『タイタニック』でも沈没が進む中、楽団が甲板でこの曲を演奏するシーンが描かれていた。

アニメ銀河鉄道の夜』で描かれた「4本の煙突を持つ豪華客船」

 そして脚本・別役実と杉井ギサブロー監督の手によってアニメ化された映画『銀河鉄道の夜』でも、こうしたいきさつを踏まえ、賛美歌320番(映画の中では当時の言い方に従い306番と呼ばれている)が使われている。また映画独自のアレンジとして、序盤でジョバンニが働く活版所で印刷しているものに、タイタニックらしき煙突を4本持った豪華客船の写真が載っている様子も描かれている。

 このアニメ映画は、漫画家ますむらひろしが漫画化した宮沢賢治作品に着想を得て、登場人物をネコで表現しているのが特徴だ。ただし家庭教師の青年と姉弟だけは人間として描かれている。杉井監督がネコのキャラクターを採用したのは、それによってキャラクターが抽象化される効果を狙ったからだ。だから、ますむらの描いた『銀河鉄道の夜』では、ネコたちは服を着ているが、アニメ映画では抽象化のために衣装はミニマムに抑えられている。一方で、家庭教師と姉弟があえて人間で描かれたのは、ネコによる抽象化とは逆に生々しさがほしかったからだという。

細野正文の孫・細野晴臣と「タイタニック」の奇縁

 この映画『銀河鉄道の夜』の音楽を担当したのは音楽家細野晴臣。実は細野晴臣は、奇しくも、タイタニック遭難から生還した細野正文の孫である。賛美歌は、映画のために創作された人物・盲目の無線技師が、ノイズまみれの遭難信号の中にこの歌を聞き取るシーンで初登場し、青年の回想で沈没の様子が語られる時に印象的に使われる。

 細野はどんな思いで賛美歌320番をアレンジしたのか。そして、果たして細野正文は船上で賛美歌306番を聞いたであろうか。

宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』に「タイタニック」を描いた理由

 原作である『銀河鉄道の夜』に話を戻そう。では、宮沢賢治はどうしてタイタニックエピソードを導入したのだろうか。

 家庭教師の青年は、沈没するときの状況を以下のように語る。

「そこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とても押しのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たち(引用者注・姉弟)をお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子供らを押しのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。」

 また、そうして銀河鉄道に乗ることになった姉は、ジョバンニとカンパネルラにサソリの物語を教える。それは、イタチから逃げて井戸に落ちたサソリが死ぬ間際に、どうしてイタチにこの身を食べさせなかったのだろう、と悔いる内容だ。

「どうしてわたしわたしのからだをだまっていたちに呉(く)れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい。」

 姉は、夜空に赤く燃えている「サソリの火」は、このサソリの体が燃えているものだとこの話を締めくくる。

 宮沢賢治は、さまざまな作品の中のみならず、生活の中でも「皆の幸福のための自己犠牲」という思想を追求していた。そこから考察するに、タイタニックエピソードも個人の幸福と全体の幸福の関係を語るための重要なピースとして作中に導入されたと考えることができる。

銀河鉄道の夜』と『タイタニック』 2つの物語に共通するもの

 そして、ここで『銀河鉄道の夜』と『タイタニック』は再び繋がってくる。この2つの物語は、ともに旅をしてきた相手の自己犠牲的な死と、それによる別離が描かれており、内容は異なれど、構造的に似ているのだ。ここで自己犠牲“的”としたのは、ジャックもカンパネルラも死ぬことを目的にはしていないからだ。

 どちらもまず無私の行動があり、その結果として、2人は命を落としている。それはこの2つが、結果として死んでしまった相手から何を受け取ったのか、という「残されたもの」の物語であるということでもある。

ローズが口ずさんだ歌と彼女の“飛翔”

タイタニック』でジャックは、海上に浮いたドアにローズを優先して乗せ、「必ず生き延びると約束してくれ」と励ます。救助を待つ間、ローズは朦朧とした意識の中、自分をタイタニック号の舳先に立たせてくれた時、ジャックが歌っていた「Come Josephine In My Flying Machine」を口ずさむ。これは1910年のヒット曲で、男性がジョゼフィーヌという女性を飛行機に誘う内容だ。

 階級のしがらみに縛られ窮屈な思いをしていたローズにとって、ジャックというのは自分が“飛べる”ということを気付かせてくれた存在だった。「Come Josephine In My Flying Machine」の歌詞に出てくる男性のように、ローズを飛翔へと誘うジャック。この歌を口ずさむ彼女の視線の先には、無慈悲なまでに美しい天の川が広がっている。自分には決して手が届かないかもしれないはるかかなたの空。その時、救助に戻ってきた救命ボートの明かりが見える。この時、ジャックは既に息絶えていた。

 ここでローズはついに自分で“飛ぶ”。凍えた体に鞭打ってドアを降り海に入って、死体が持っていた呼子を吹き、ボートを呼び戻すローズ生きるために自ら選択し行動すること。海に沈んでいくジャックローズが呼びかけた「あなたを忘れない」という言葉は、単なる「初恋の永遠性」ではなく、「あなたが教えてくれた“私は飛べる”ということを私は忘れない」ということでもあるのだ。

ジョバンニとカンパネルラの「どこまでもどこまでも一緒に」

 一方、『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカンパネルラの別れは突然にやってくる。

 家庭教師と姉弟も銀河鉄道を降り、再び2人きりになるジョバンニとカンパネルラ。だが、原作では、ジョバンニが「どこまでもどこまでも一緒に行こう。」と話しかけた瞬間、既にカンパネルラの姿は消えている。映画では、カンパネルラは客車から歩み去り、ジョバンニはその後姿を追いかけても追いつくことができない。

 そこでジョバンニは目を覚ます。丘を降りていくとジョバンニは、カンパネルラが級友を救うために川に落ちたことを知らされる。

 映画はここでジョバンニの「ああ、僕はカンパネルラがあの銀河のはずれにいることを知っている。僕はカンパネルラと一緒に歩いてきたんだ」という台詞を加えている。この時画面は、川面から橋ごしに天の川を見上げる映像を通じて、地上の川と天の川が繋がっていることを示す。

 その後、原作ではまだいなくなる前のカンパネルラに語りかけた内容が、「僕はもう、あのサソリのように、ほんとうにみんなの幸せのためなら、僕のからだなんか百ぺん焼いてもかまわない。カンパネルラ、どこまでもどこまでも一緒に行くよ」と少し改めてモノローグで語られることになる。

 原作は、ジョバンニが「どこまでもどこまでも一緒に行こう。」と呼びかけた後、カンパネルラが「あすこがほんとうの天上なんだ」と車窓の外を指差すが、ジョバンニにはそこが「ぼんやり白くけむっているばかりどうしてもカムパネルラが云ったように思われませんでした。」というふうに見えている。この断絶のまま原作は物語の終幕へと入っていく。

 これに対し、映画は2人の潜在的な認識のギャップを描きつつも、その後に「どこまでもどこまでも一緒に行くよ」と台詞を置いたことで、「選ぶ道は違えど、理想は同じ」という意味合いが前面に出て物語を締めくくることになった。

残されたものと、先に逝ったもの

 このアニメ映画ジョバンニの「どこまでも一緒に行くよ」は、『タイタニック』の「あなたを忘れない」という台詞と響き合っている。残されたものは、先に逝ったものから何かを受け取っている。それを忘れない限り、死者は死ぬことはないのである。

映画『銀河鉄道の夜』は最後に「ここよりはじまる」というテロップで締めくくられる。この言葉は、ニューヨークに到着し、自由の女神を見上げるローズの人生にも、まさに当てはまる言葉だ。「ここよりはじま」り、彼女は十分に生きることになる。

 そんなローズの人生を思う時、では少年ジョバンニは、その後、どのような人生を生きたのだろうかという答えのない問いも頭に浮かんでくる。ローズのように老いて、それでもなおカンパネルラのことを忘れることはなかっただろうか。ローズが夢でジャックと再会するように、夢でカンパネルラと会うことはあったであろうか。

タイタニック』と『銀河鉄道の夜』は、決して似ている映画ではない。でも細野正文のつなぐ縁をきっかけにして並べて見ると、お互いを照らし出すような要素がそこここにちりばめられているのである。

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【参考資料】
タイタニック ジェームズ・キャメロンの世界』(ポーラ・パリージ、訳:鈴木玲子、ソニーマガジンズ)
宮沢賢治の真実 修羅を生きた詩人』(今野勉、新潮社
アニメーション宮沢賢治 銀河鉄道の夜設定資料集 増補新装版』(復刊ドットコム)
タイタニック 祖父の真実』Webナショジオ

(藤津 亮太)

©️世界中で大ヒットした映画『タイタニック』。物語のテーマになったタイタニック号の沈没は、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の中にも描かれている ©️getty


(出典 news.nicovideo.jp)