#斎藤工 が明かす、オーディションに落ち続けた過去とは?


斎藤 (さいとう たくみ、1981年8月22日 - )は、日本の俳優、映画評論家、クリエイター、YouTuber。本名の齊藤 (読み同じ)名義で映画監督としても活動。ブルーベアハウス所属。東京都港区出身。日本学園高等学校卒業。 東京都港区生まれ。 家族は東京都渋谷区に在住し、かつて東北新社に勤…
95キロバイト (12,266 語) - 2023年3月17日 (金) 01:53


斎藤工さんがスターになるまでの過程は必ずしも簡単ではなかったようですね。それだけに、現在の彼の地位を知ると、より一層彼の才能と努力はすごいものがあったのでしょう。

モデルプレス=2023/03/18】俳優の斎藤工が、17日放送の日本テレビ系『アナザースカイ』(毎週金曜よる11時~)に出演。オーディションに落ち続けた失意の日々と、俳優デビューのきっかけについて語った。

斎藤工、嵐のハグ“コンプリート”で歓喜 二宮和也の“ハグ待ち”話題に

斎藤工オーディションに落ち続けた過去

同番組で斎藤は、駆け出しのモデル時代、居場所を求めて飛び出した思い出の地・香港へ。

当時について「(オーディションに)落ち続けたんですよね、何も仕事が決まらないっていう」と切り出した斎藤は、「当時のファッションの世界は、日本人というよりミックスの方たちのカルチャーのムーブメントの時代だったので、なんか居場所がここにはないなっていう気は漠然としてましたね」と、オーディションを受けるも一向に声がかからない失意の日々だったと告白した。

そんな状況は「日本のモデル事務所と香港のモデル事務所が連動してくれた」ことで徐々に変化。「日本のモデルさんの需要が当時は今よりあったんだと思うんですけど」と事務所同士のつながりもあり、香港でのチャンスが舞い込んだと明かした。

斎藤工、俳優デビューのきっかけを語る

しかし、現実は想像以上にシビアだったそうで「本当に、オーディションに行くと(自分と)同じようなタイプの人がごまんといて、被りまくってるし自分より優れてる人たちがいっぱいいたんで、これは敵わないというか(自分である)必然性が無いなっていうふうな事はありましたね」と、再び意気消沈の日々だったという。

それでも、約半年の滞在期間中何度もオーディションを受け、アピールし続けたのだそうで、その甲斐あって「向こうビデオオーディションが当時主流だったんで、いろんなオーディション会場に行って。で、帰国した後に『あの仕事決まったよ』って事で」と日本と香港を行き来しながらもオファーをもらえるようになったと明かした。

その後、香港の写真家でもある映画監督の目に留まってフォトセッションした縁から、日本でのイベントに招待され「そこで出会ったのが僕のデビュー作のプロデューサーなんですよ」と映画『時の香り~リメンバー・ミー~』(2001年)で俳優デビューを果たすきっかけとなった出会いを語った。(modelpress編集部)

情報:日本テレビ


Not Sponsored 記事】

斎藤工(C)モデルプレス


(出典 news.nicovideo.jp)