迫真演技が話題に…「エルピス」での長澤まさみが地元の友人に「素のあなたに似ている」と言われた“役柄”


長澤 まさみ(ながさわ まさみ、1987年(昭和62年)6月3日 - )は、日本の女優。本名同じ。身長168cm。東宝芸能所属。 静岡県磐田市出身。堀越高等学校卒業。 父は元サッカー日本代表で、Jリーグ参入前のジュビロ磐田(ヤマハ発動機サッカー部)の監督を務めた長澤和明。…
96キロバイト (12,214 語) - 2022年11月22日 (火) 23:05



君の名は。』『キングダム』『マスカレードホテル』『銀魂』『シン・ウルトラマン』『コンフィデンスマンJP』。日本映画の興行収入ランキングで上位を占め、あるいは話題を集めた作品の出演者名に、驚くような確率で「長澤まさみ」の名前がクレジットされている。

 ブロックバスター級映画の興行収入や話題だけではない。『MOTHER マザー』や『散歩する侵略者』などの映画に出演すれば、本来なら大衆受けしないテーマの作品の興行を支え、同時にその演技力に対していくつもの映画賞が贈られる。

 日本を舞台にした中国映画『唐人街探偵 東京MISSION』では、彼女が物語のキーになるヒロインをつとめた。中国大陸で公開6日間で、日本円にして数百億円の興行収入を上げ、中国市場での『アベンジャーズ エンドゲーム』の記録を超える歴代6位に位置する作品だ。数千万人の中国観客が見た人気シリーズの日本編ヒロインに彼女が選ばれたのは日本映画界の切り札、日本映画代表の中核メンバーとして誰もが長澤まさみを認めているからに他ならない。

なぜ長澤は『エルピス』を選んだのか

『エルピス —希望、あるいは災い—』の脚本家、渡辺あやが文春オンラインの取材に対して語った「(主人公の配役は)即決で長澤まさみさんがいいと決まりました」「この役は彼女しか考えられない」という言葉は、ドラマを見る誰もが納得できることだろう。ここまで放送された前半でも、長澤まさみは複雑で繊細な物語の導入に視聴者を強く惹きつける演技を見せている。

 だがあえて言うなら、日本のドラマの配役会議で「この作品に長澤まさみが出てくれたら」と願わない脚本家プロデューサーの方が少ないとさえ言える。「渡辺あやがなぜ長澤まさみを選んだのか」と同じくらい、三谷幸喜大河ドラマナレーションから野田秀樹の舞台まで出演に忙殺される長澤まさみが、なぜ渡辺あや作品を選んだのかは興味深い点だ。

 それも渡辺あやのインタビューによれば「オファーしたら、即答で『やります』とお返事をくださいました。さらに、企画がストップした数年の間もずっと待っていてくださって。すごく嬉しかったですし、私たちにとって希望でした」と語るほどの熱意で『エルピス』への出演を優先してきたのか、は重要な点になる。

ジョゼと虎と魚たち』が自分のオールタイムベストムービーだ、と長澤まさみが最近のインタビューで渡辺あやの脚本家デビュー作品を挙げているのは、その遠回しな答えではあるのだろう。

 ずっと彼女の才能を知っていた、いつか彼女の作品に出演したいと思っていた、という意味がそこには込められているのではないか(ちなみに文化庁芸術祭大賞を受賞した渡辺あや脚本ドラマ『今ここにある危機とぼくの好感度について』に出演した鈴木杏と長澤まさみは高校以来の旧友である)。

インタビューで語っていたこと

 同時に、『エルピス』関連のインタビューを読みながら、長澤まさみが作品に対して視聴者に先入観や予断を与えないよう、一定以上に踏み込んだ発言を避けているように思える面もある。

 人気俳優が作品の社会的テーマに対して踏み込んだ発言を避けるのは、日本の芸能界において通常のことではある。だが事なかれ主義的に避けたいのであれば、数あるオファーの中で『エルピス』を、その社会的テーマと、それが起こすであろう軋轢を知りながら、2年間もドラマの実現を待ち続けた末に出演するはずがない。

 当初はTBSで企画されていた『エルピス』の原案は「リスクが大きい」「ハレーションを起こす」と忌避され、見送られる。名作『カルテット』を手がけた佐野亜裕美プロデューサーTBSを退社し、体調を崩す。その間、長澤まさみは次々と国民的メガヒット映画への出演を重ねながら、テレビ局が二の足を踏み、プロデューサーが職を失い体調を崩したドラマがいつか制作され、自分が出演する日を待っていたことになる。

 そうした『エルピス』という作品の起こすハレーション、影響力の大きさを知るからこそ、インタビューにおいて長澤まさみは安易に作品の内容を分かりやすい言葉で語ることを避けているように見える。

「世の中にある正義って、具体的に何を指しているのか戸惑うことがあります。自分の正義を貫くことも容易ではないし、人それぞれひたむきに今と戦っているんだなって思います」

 制作発表時の長澤まさみコメントは、必ずしも社会正義を高らかに掲げる雰囲気ではなく、むしろ思慮深くそれを扱おうとしている雰囲気がある。

 メディアで語られる言葉は今ネットにおいて、強烈な二つの磁石の間に置かれた砂鉄のように、左右どちらかの磁場に引き付けられ、吸着してしまう。脚本家の渡辺あやがインタビューで語ったいくつかの政治批判、固有名詞を挙げた発言はたちまちその2つの磁場の中にとらえられ、「政権批判だからくだらない、見ない」という反応と「勇気ある政権批判だから素晴らしい」という反応の両極に分かれていった。

 中立などありえない、左か右か立場を鮮明にすればいい、という声もある。だが実際に渡辺あやが脚本を書いた『エルピス』という物語の中では、人間の中の善と悪が複雑に混ざりあって描かれている。

 長澤まさみが演じる主人公は必ずしも、社会正義に目覚めた正義の女性であるだけではない。物語の始まりである死刑囚の冤罪疑惑というモチーフには、正義だと思っていたものが正義ではなかった、というテーマを内包している。被害者遺族の怒りや反発の中に揺れながら事実を探る主人公の表情には、良心とともに戸惑いや迷いの影が常に立ち込める。

「(『ワンダーウォール』を作った時)教育機関がそういう横暴な態度をとることに対して、みんなもっと怒るべきだと思ったんです。だけど、ドラマとしては評価をいただき映画化もされましたけど、結局誰も一緒に怒ってくれなかった。怒りの声を上げても、もともと問題意識を持っている方しか味方になってくれないのを感じたんですよね。

 そのとき、怒りや悲しみといったネガティヴな表現で、無関心な人を動かすことには限界があると思ってしまったんです。味方を増やすには、もっと楽しかったり面白かったり笑えたりする形で伝えるのが、私のような者の役割なんだなって。だったらこういうのはどう? という気持ちで『ここぼく』や、今回の『エルピス』を作っているところがあります」(『FRaU』渡辺あやインタビューより)

 結局は誰も一緒に怒ってはくれなかった、という渡辺あやの言葉はショッキングではある。『ワンダーウォール』にはSNSでも多くの絶賛が寄せられていたからだ。だが、2011年以降、すべての個人賞を辞退していると言われる渡辺あやという脚本家にとって、その物語は「褒められる」ことを目指して書いたものではなかったのだろう。

 怒りや悲しみの表現で人を動かすには限界がある、味方を増やすには、楽しさや笑いの中でメッセージを伝えなくてはならない、という言葉は、単にプロの脚本家としてのテクニックだけではなく、「さあ怒れ、なぜ怒らない」と知識人たちが声を枯らすほど大衆と乖離していく今の政治状況に突き刺さる言葉だ。

長澤まさみが適任すぎるワケ

 そして、渡辺あやが目指す「怒りの先にある表現」に対して、長澤まさみほどよく応えられる俳優はいないだろう。「素の自分に一番似ていると地元で言われる」と語る『コンフィデンスマンjp』の主人公ダー子を演じる時にも、フジテレビコメディ的なテンションの中にふと見せる真剣な表情が作品に背骨を通してきた。そうした一筋縄ではいかない重層的な演技が長澤まさみの真骨頂でもある。

「『何でも抑圧して、排除して、見えないことにすればいいというものではない』という危機感が、個人的にあります。人間って、もっと怖い生き物のはずで、『不都合な欲望』にも『置き場所』がないといけない。そして、古くからそういう役目を担ってきたのが、芸術や文学だったはずなんです。」(「文春オンライン」2022/10/31)

 セクハラパワハラの表現をただ隠せばいい、見えないように配慮すればいいという風潮に対して渡辺あやは疑念を語り、プロデューサーとの議論の中で「セクハラ描写は残す」と押し切ったと語る。『ガラガラヘビがやってくる』をがなり歌う、フジテレビ文化の自己風刺のような上司は、ドラマの中で重要な役割を果たすという。

『エルピス』のテーマは、政治や法制度である以上に、テレビそのものである。この国を支配する最も強い力のうちのひとつが地上波テレビであり、だからこそ『カーネーション』の渡辺あや、『カルテット』の佐野プロデューサー、そして国民的スターである長澤まさみが一つの作品に勝負をかけることになったのだ。

 社会的なテーマを扱った本格ドラマの視聴率は一般に伸びにくく、『エルピス』も主演•長澤まさみの看板で持ちこたえている状態とも言える。視聴率がすべてではないというのはもちろんだが、第四話『視聴率と再審請求』の中で主人公が独断で持ち込んだ報道が視聴率を勝ち取り(上司の反発を警戒しつつ)発言力を得ていく、という描写は、渡辺あや脚本による「大衆の欲望の中で自分の仕事を取り戻してみせる」という決意にも見える。自分の仲間だけが見てくれればいい、という物語ではないと思うのだ。

 それは正義をめぐる物語である。だが、正しいだけの物語ではない。物語の行方は半分。パンドラの箱はまだ半分開いただけに過ぎない。最後に残ったと言われる『エルピス』は、果たして希望となるのだろうか。

(CDB)

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(出典 news.nicovideo.jp)