〈カムカム最終回〉「るいもいずれ『大月さん』になるんだよ」錠一郎の真意、るいの戸籍に隠された安子の“消息”とは 「カムカム家の戸籍」全文転載
連続テレビ小説 > カムカムエヴリバディ 『カムカムエヴリバディ』は日本のテレビドラマ。NHKが2021年11月1日(月)から2022年4月8日(金)まで放送する「連続テレビ小説」第105作。原作脚本・藤本有紀。 岡山・大阪・京都を舞台として大正・昭和・平成・令和の四時代をラジオ英語講座とジャズと時 290キロバイト (47,930 語) - 2022年4月7日 (木) 23:20 |
〈カムカム最終回〉放送中にある“事件”が…るい・錠一郎の戸籍謄本が物語る、2人が出会う前の秘話 から続く
「文藝春秋」2022年5月号より、政治学者の遠藤正敬氏による「朝ドラ『カムカム家』の戸籍」を全文転載します。(全2回の2回目/前編から続く)
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「入籍」してこその「家族」?NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」第60話(2022年1月26日放送)の冒頭では、入籍後の「夫婦」の戸籍謄本をるいと錠一郎がにこやかに眺めながら歩く場面がある。ここで強風に戸籍が吹き飛ばされたりしたらと心配になるが、よほど嬉しかったのであろう。
画面に映し出された2人の戸籍は、「大月錠一郎」の氏名が筆頭にある。それまでは父母もなく錠一郎ただ1人しか記載されていなかった戸籍であるが、ナレーション曰く「るいは『大月るい』となり、錠一郎の戸籍に初めて家族が加わりました」。戸籍という紙の上に一緒に名前が載ってこその「家族」であるというのは守旧的思考といわざるを得ない。育ての親となった定一は錠一郎にとってかけがえのない「家族」であったはずである。そこは、孤児として育ったという錠一郎の不遇を強調したい意図からとみるべきか。
錠一郎は周囲に戦災孤児であることを知られていたり、親の名がない戸籍をるいに見せたりと、孤児という生い立ちを隠し立てすることはなかった。
そんな錠一郎でも、結婚については夫唱婦随を是としている場面がある。錠一郎がるいにプロポーズする際、それまで「サッチモちゃん」(「ニッチモサッチモ」の方ではなく、ルイ・アームストロングの愛称「サッチモ」から)と呼んでいたのを「るい」に改め、るいにも自分をもう「大月さん」と呼ぶのはやめてと頼むが、そこで出た言葉が「だって、るいもいずれ『大月さん』になるんだよ」。出世や名誉などに無頓着で浮世離れした感のある錠一郎でも、結婚したら妻が夫の姓に変わるのが当たり前という価値観は持ち合わせているわけである。
視聴者は、安子に捨てられたるいの姓がどうなったのか? という疑問を抱いたかもしれない。安子がロバートと正式に婚姻していたとしても、外国人は戸籍がないので安子の姓は変わらない。
安子が日本人と再婚したならば高確率で夫の姓に変えるであろうが、そもそも母が再婚しても、子の姓は変わらない。再婚相手と養子縁組しない限り、るいの姓は「雉真」のままである。
もっとも、るいにしても雉真の家に縛られることを嫌った。るいは幼少時のケガにより額に大きな傷跡が残り、それを不憫に思った父方の祖父・千吉が費用は出すから傷跡を目立たなくする手術を受けるように何度も勧めたが、るいは頑なに断った。これ以上、雉真家の世話になれば、一生自分はこの家に束縛されるとの懸念からである。何より自分を捨てた母への恨みを抱えていた彼女には「雉真」の姓に未練はなかったに違いない。
るいの戸籍の父母欄をみると、「父 亡 雉真稔」「母 安子」とあり、安子は生きているようにみえるが、その消息は執筆時点では分からない。一般的には、外国に住む日本人が亡くなった場合、現地の日本大使館に死亡届が出されていれば、本籍地の役所へと転送されて、日本での戸籍から除籍されることになる。しかし死亡届が出ていないと戸籍はそのままだ。
ちなみに稔の死亡は終戦後に届いた戦死公報によって知らされる。この戦死公報は、本人の死体が確認されずとも部隊が全滅するなどして、死亡した可能性が高いという推定の下に作成されることもしばしばある。よって、戦死公報が出されたものの、実は生きていた当人がひょっこり復員して、家族を驚かせるという事例も珍しくなかった。残念ながら稔にそんな奇跡は起こらなかった。
結婚は家のためなのか安子が主役の時代は明治民法(1898~1947)に基づく家制度が生きていた時代でもある。そこでは、家族は家の統率者たる戸主の監督下に置かれ、個人の自由よりも家の幸福が第一とされた。
雉真家は、戸主の千吉が1代で一流企業に築き上げた雉真繊維を経営する家である。いきおい一家には「雉真」の家名を背負っているという共同意識が生まれる。野球に明け暮れている能天気な二男の勇でさえ、安子が稔と交際し始めた時、「兄さんはいずれ雉真の社長になる人や。アンコ屋の娘なんか釣り合うもんか」と咎めたほどである。もっとも、これは安子に恋心を抱いていた勇の方便かもしれないが。
家制度の下では、結婚するにも戸主の同意が必要であった。家の永続と繁栄を願う戸主にとって、家族の結婚もそのための手段でしかなかった。稔に一流銀行頭取の娘との結婚を迫る千吉が「結婚は家同士でするもんじゃ」「いま進めている縁談は雉真のため、ひいてはお国のためになるんじゃ」と勇に語る場面がある。ここからも家の繁栄は国の繁栄につながるものという当時の価値観がみてとれる。この流れでは安子と稔の“身分違いの恋”は実を結ばずに終わるかと思いきや、安子の人柄に魅かれて稔との結婚を許した千吉は案外ものわかりのいい父親のように映る。
だが、稔の死後に安子がるいを連れておはぎ売りを始めると、千吉は「長男の嫁とその幼い娘を外で働かせているとなると雉真の面子に関わる」とそれをたしなめる。これも「長男の嫁」という立場が戦後になってもいかに家に縛られるものであり続けたかを物語る場面である。
さらに千吉は跡取りとなる勇に安子との結婚を促す。未亡人が夫の兄弟と再婚する慣習は「もらい婚」とか「レビラト婚」などと呼ばれ、和洋を問わず珍しいことではない。かの『ハムレット』でも、ハムレットの父である国王が亡くなると、その弟クローディアス(実は兄を毒殺)が即位し、前王妃ガートルードはクローディアスと再婚する。これがハムレットの復讐の導火線となる。だが、稔への思いから安子は勇からの求婚に首をタテに振らなかった。
「家族」のかたちと戸籍るいと錠一郎がゴールインしたことの意味は何か。とかく日本社会は、能力や人格よりも家柄や血筋が個人の評価を左右するところが大きかった。
今日でも結婚は“家同士の結婚”という側面が強い。結婚式場には「〇〇家」とあるのを見かけるし、結婚相手次第では親族が反対の声を上げもする。その点、るいにはもはや反対する親はなく、「家名」にこだわる口うるさい祖母も他界していた。
るいと錠一郎の結婚に見出せるのは、結婚は出自など関係なく個人同士の恋愛の成就であるべしという「多様性の尊重」のメッセージである。その反面で、結婚して「家族」になった証しとしてあえて「入籍」が強調されたのは戸籍を基軸とする旧来の「家族」像が現代もまだ根強いという風潮も窺わせる。
今日、日本のような「同氏の家族」を単位とする戸籍制度は世界に類をみない。韓国には日本の家制度に類似した戸籍制度(ただし夫婦は別姓)があったが、それも2008年に廃止となった。
本来ならば「カムカム・コセキ」と声を張り上げなくとも幸せに生きていける社会こそが理想的なのであるが。

(出典 news.nicovideo.jp)
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