山あり谷あり⁈【PUFFY】が25 年間で一度も“解散”を考えなかったワケとは
PUFFY(パフィー)は、日本の女性ボーカルデュオ、ユニット。メンバーは大貫亜美と吉村由美。1996年に奥田民生プロデュースのシングル『アジアの純真』でデビュー。力の抜けた自然体のスタイル、親しみやすいキャラクター、ハイクオリティな楽曲が特徴。2000年にSXSWに出演、2002年にPuffy 54キロバイト (5,260 語) - 2021年7月7日 (水) 07:03 |
思いがけない形で芸能界入りし、PUFFYを結成した大貫亜美さんと吉村由美さん。その後もてっきりファーストミニアルバムだけで終わるものだと思いきや、気付けば25年経っていたと二人は語ります。
また、音楽性の違いやメンバーの結婚を機に、休止や活動停止に至るバンドやデュオも多い中、PUFFYは一度も解散を考えたことはないそう。
どんなに華やかな世界にいようと足をすくわれない、二人が決めたルールや物事に対する捉え方とは。そして、なぜか25年間ずっと楽しいことが続いている秘訣とは――。PUFFYの二人に話を聞きました。(全2回の2回目/前編から続く)
「辞めたいと思うようなこともなかった」――デビューから25年を迎えたPUFFYですが、移り変わりが激しいとされる芸能界の中で、長きに渡って活躍している人たちの特徴ってあると思いますか。
大貫亜美さん(以下、亜美) 現場で出会った人たちを見ていると、(奥田)民生さんもそうですが、人間的に良く出来てるなって思う人が多いですね。そうじゃないと、人の心を長く繋ぎ留めておくことは出来ないのかな、と。話をしていても面白いし、常識的だし、出るとこ引くとこ分かっていて、勘違いしてないというか。たまにしてる人いるけどね(笑)。
吉村由美さん(以下、由美) PUFFYに関していうと、環境とか、スタッフにも恵まれていたと思います。自分たちの言葉を拾ってくれて、それを広げてくれる人がたくさんいたり、PUFFYというものを面白がってくれるスタッフがとにかく多かったので、自由にやってこられたのかな、と。たぶん、ワガママもたくさん言ってきたと思うんですけど、25年間で「ダメだ」と止められたことってそんなになくて。
面白いことが続くから、自分たちも飽きずに、これもやってみたい、あれもやってみたいと……辞めたいと思うような嫌なこともなかったので、25年経っちゃったんですよね(笑)。
――転職が珍しくない今、芸能界に限らず、一つの会社や業界に25年いること自体、ある意味貴重になってきているかもしれません。お二人の人柄によるところも大きいかと思いますが、ご自身から見て、どの辺りが世間から求められて、今も活動が続けられていると感じますか。
二人で決めた“解散のタイミング”由美 えー、なんでしょう。たとえば雑誌のランキングとかで、〇〇したいミュージシャンランキングってあるじゃないですか。彼女にしたい、恋人にしたい、みたいな。そこで自分たちはいつも「カラオケに一緒に行きたい人ランキング」に入ってるんですよ。
どれだけ歳を重ねても、どの人からもPUFFY、PUFFYちゃんって呼ばれる。「亜美ちゃん由美ちゃん」で、「亜美さん由美さん」じゃないポジションなんだと、この歳になってちょっと気づいてきました。
――一方、解散や活動休止もせずに、お二人でここまで続けてくることができた秘訣などはありますか。
亜美 私たちはあまり約束事とかはないんですけど、しいて上げるとすれば、どっちかが辞めたいとか、PUFFYをやってても面白くないなって思ったときは、もう、それは相手に告げて、言われた方も「分かった」って言って解散しようと決めてるんです。今のところそれがないので、ずっと楽しいままなんですよね。
――それはデビューしたときに決められたのですか。
やっぱり「楽しいこと」をやりたい亜美 いつ決めたんだろう。結構始めの頃だよね。
由美 やっぱり楽しいことをやりたいじゃないですか。大変なことが10個あっても、それは楽しいこと1個をやるために必要なものならいいんです。大きくひっくるめて、1個の楽しいことだと考えられるんで。でも、そもそも楽しいことがないならやっている意味ないよね、と。なんとなくそういう話をしたのかな。
――とはいえ、25年間楽しいことがあり続けるというのは、それはそれで凄いことだと思うんですよね。どうしたら、そんなに楽しいことが続くんでしょう……?
亜美 いや、楽しくないことももちろんあるんです。でもそれは、さっき由美ちゃんが言ったみたいに、楽しいこと1個のために必要なものなのかもしれないし、あと、もしやってみてダメだったら断れるっていうルールも決めたんです。ただやりたくないから嫌ですっていうのは大人が納得しなかったけど、1回やってみた上で無理でした、は言えるだろうと。
だから、始めからノーは言わないでおこうというのもあるんです。そうして厳選して、積み重なって出来た「楽しいこと」を今もやらせてもらってる感じですかね。あとは、私、由美ちゃんと遊んでるの楽しいので(笑)。だから続いているんだと思います。
「グラビアとかなかったね(笑)」――では始めからNGは決めずに、オファーが来たものはとりあえずやってみる?
由美 そうですね。水着になれとか言われなかったので、これまで嫌なこともなかったのかな。
由美 でも二人だから……ひとりだと許容範囲って限られるけど、二人だと広がるじゃないですか。だからもしすごく苦手なことがあっても、どちらかが補えば何とか形になるのかなって。
――そこがやっぱりお二人でやる強みにも繋がっていくんでしょうか。
亜美 そうですね。もう全員に勧めたいよね、二人組って。
由美 三人だとちょっと割れるんですよ、二、一になってね。
亜美 あの子には言ったのに、私には言ってないみたいな。
――ちなみにお二人は喧嘩することはないですか。
亜美 喧嘩はほとんどないですね。意見が違うとかはもちろんありますけど、基本、私が由美ちゃんと一緒にいたくてPUFFYを始めたので。そういう気持ち悪い始まりだったので、すごく満足してます、今。
由美 あはは、怖い(笑)。
「自分たちは本当に平凡だなって」――ところで、お二人は「私たちって人と違うな」と思う部分はありますか。
由美 むしろ、すごい平凡です。考え方も生活も、こういう仕事をしていると変わった方多いなって感じますけど、自分たちは本当に平凡だなって思いますね。
亜美 それに結構真面目だと思います。自分の気持ちで仕事を飛ばしたことはないですし。
由美 それはね、社会人として当然だから、というふうに思うんだ。
亜美 ……という風に思うんだけど、そんな人いっぱいいるじゃん(笑)。だから、そういうことはしたことないし、与えられたものはちゃんとやろうと思っています。
――でも、25年も芸能界にいると、言葉は悪いですが“芸能界かぶれ”みたいな、業界に染まるようなところはなかったですか。
ライブ中も失わない“冷静さ”由美 いや、でも、たぶん調子に乗ってた時代も若い頃はあったと思いますよ。
亜美 萬寿とか飲んじゃったもんね。
由美 そうそう、高級な日本酒とか飲んじゃったりしたよね。でも、そういうのも時が経つと落ち着いてきまして。なんか調子に乗るタイミングがわからないというか。それに、バラエティー番組に出てMCをしても、力不足っていうのが絶対的に跳ね返ってくるので、調子に乗りようがないんですよ。あとは、なんだろう、スタッフのテンションが上がるのを見ると、逆に引いちゃうところもあって(笑)。
亜美 そうそう!(笑)
由美 「すごい! 〇〇の件、決まったよ!!」みたいな感じで、鼻息荒くマネージャーさんが言ってくると、物凄い引いちゃうんですよね。そこは落ち着こうよ、となって。誰かが落ち着いてないと、後で痛い目みるんだろうなって思っちゃうんです。
亜美 全員でこの神輿に乗ったらケガするみたいな(笑)。
由美 そう考えると、この25年間で「おっしゃぁ!」みたいになったことって、実はないのかもね。
由美 ライブ中はめちゃくちゃテンション上がってますけど、どこか俯瞰で自分たちを見ないと絶対失敗しますし、冷静じゃないと歌詞も覚えられないし。
亜美 可哀そう、なんか(笑)。
由美 でも、こういう仕事してる人たちってみんなそんな気がしますけど、一歩引いて自分のことを見れないと、足をすくわれるなって思いますね。
“25年前の自分たち”に言いたいこと――最後の質問になりますが、25年前のご自身に声を掛けるとしたら、どんな言葉を掛けたいですか。
由美 もうちょっと勉強しときなさいって思いますね。元々子どもの頃から勉強して育ってこなかったので、この歳になっても知らないことが多すぎて。歌詞を書きましょうとなっても、言葉が足りないし、自分の引き出しが少なくて苦労することが多々あるんです。
だから本を読んでみたり……。あとは、あの頃も今もそうですが、なかなか人見知りが激しくて、お喋りをしてこなかったことが、今の引き出しの少なさに繋がってるのかなと思うので、もうちょっとあんた頑張りなさいよって言いたいです。
亜美 私も似てるかな。これからの25年間は、お前は、何一つ秀でてるものはないままだからな!って言いたいです。たとえば楽器を練習するとか、語学を勉強するとか、何かに特化してずっと続けるようなことをやっといた方がいいぞと。
由美 後悔しかない(笑)。
亜美 でも、今も由美ちゃんとこうやって活動出来ていることは、とても満足しています!
1996年、奥田民生プロデュースによるシングル『アジアの純真』でデビュー。その後、『これが私の生きる道』『サーキットの娘』『渚にまつわるエトセトラ』etc、次々とヒットを連発。彼女たちを主人公にしたアニメ「ハイ!ハイ!パフィー・アミユミ」が世界110カ国以上で放送され、2006年1月からは国土交通省から任命されたビジット・ジャパン・キャンペーン米国親善大使をつとめるなど、まさに、日本が誇る世界のポップ・アイコンとして活躍中。
9月22日には、デビュー25周年を記念したオリジナルニューアルバム『THE PUFFY』がリリースされる。PUFFYのオリジナルアルバムは、2011年3月の『Thank You!』以来、10年ぶりとなる。
(松永 怜)

(出典 news.nicovideo.jp)
Stray Cats
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ふむ
@uttori_
PUFFYの2人がイメージキャラクターを務め、THE YELLOW MONKEYの吉井和哉(当時は解散後でソロ)が作った「くちびるモーション」という曲を歌ったり、それはそれはロックでキッチュな世界観が繰り広げられていたんじゃ・・・… https://t.co/SKAffFR2kA
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